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生協 単協と事業連合・日生協 部分と全体(2)

それぞれの価値観に基づいてくらしている組合員さんの暮らしに対して、生協(理事者)の価値観を押し付けることはできませんしすべきではありません。また、事業連合の側から、たとえ善意からの想いであっても、「この商品は使うべきでないから、店に置いてはいけない」とか「この商品はこう使わなくてはならない」とか、価値観の押し付けやくらしかたを指導・コントロールしていこうとするなら、傲慢のそしりは免れないでしょう。私はそう思います。全体性を持っている組合員さんのくらしに対応して、その一部を担う単協・事業連合・日生協=生協の側から、より役立つように接近していくことこそが必要なのです。「生協のレベルに合わせて生活してください」ではなく「くらしの要望に応えられるように生協が変わります」とならなければならないわけです。

では、生協は受動的で良いのでしょうか?そうではありません。これについては、とても参考になる事例があります。日本の図書館の新しいあり方を示した事例です。「良書普及」の思想で、偉い人が良い本決め普及していく、かつての日本の公共図書館のあり方を、「イギリスの図書館は求められてもいない本を配ったりしないが、求められた本は必ず提供する」というイギリスの図書館に学び、日本に「新しい図書館」を生んだ実践のドラマです。「移動図書館ひまわり号」(前川恒雄・筑摩書房)に詳しく書かれております。この本は絶版になっていて購入できないようですが、公共図書館には必ず蔵書しているはずですので借りて読んでみてください。

コープみやざきは、それまでの「コープ商品普及」の考え方を改め、実際の暮らしから出発し、移動図書館ひまわり号の考え方で、店舗の品揃えを切り替えました。心配なことがありましたので、前川先生を訪ね質問をしました。「求められた本は必ず提供するとのことですが、もし『エロ本』のリクエストがあった場合にもそうされるのですか?」恐る恐る尋ねました。先生はきっぱりと「はい。提供します」即座に答えられ、「でも、永く図書館にいますが今まで一度もそういうリクエストはありません」とおっしゃいました。市民への深い信頼と愛情をつよく感じ、そういう風に人を見ていた自分が恥ずかしくなりました。そして、全体性をもった人間と、規模は大きくてもくらしのある部分しかになえない組織との関係性がすっきりと整理でき、店舗の品揃えの考え方が定まりました。

何が全体で、何が部分か?よくよく考えないと、見かけの規模に引きずられ、全体性にフィットしている「質」を見過ごすことになりかねないと自戒しています。

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