データを情報へ高める感性を磨く
最近よく思うことは、インターネットメールを使ってのコミュニケーションと日常の膝を突き合わせてのコミュニケーションとはかなり異なるものがあるということです。どのように異なるのかというと、メールでは「いやよ、いやよも好きのうち」と言うような、言葉とは裏腹な身体に表れる態度を読み取りにくく、会話の幅が狭いということです。
逆にこれは、とても言いづらいことを言うのには適しているようです。朝帰りなどして、顔を突合せて言い訳などしている間に、相手の顔色が変わり、怒りの気配が自分を責めてくるような、あの気まずい時間を持たなくてすみます。最近、大量の従業員の解雇通知をメールで通知して世間の顰蹙を買った企業がありましたが、膝を突き合わせては、とても言えなかったからでもあるのでしょう。
膝を突き合わせてのコミュニケーションは、一方がしゃべる、それを聞いた片方がそれを受けて応答するというような機械的な会話ではなく、しゃべっている一方は相手の反応を感じ取りながら話しているし、聞く片方も相手の話に、意識・無意識に反応し、場合によっては制止するぞと思いながら聞いています。
そう考えると、互いが感じあえない、メールは情報というより、データに近いのかも知れません。コンピュータで作るのも情報ではなく、データだと考えたほうが良いと思いました。(情報システム部ではなく、データ作成部?)。そのデータを情報に高めていくのは、そのデータに意味づけすることだと思います。IT部門に関わる吾々は、データを意味づけし情報に高め得るだけの感性を磨く、日常の努力が欠かせないことを痛感しています。