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コンピュータと人間

 それがなくては生きて行かれないのに、普段それがあることすら忘れているものに「空気」があります。水にもぐるとか、空気の汚いところに行って、呼吸ができなくなるとその重大さに気付きます。「空気」以上に意識されていないものに「重力」があります。宇宙飛行士など、無重力状態に永くいると、筋肉はもちろん骨も退化していくそうですね。
 「重力」は、地球の引力と自転による遠心力の合力だと習いました。日本付近は9.8m/sec(2)の加速度で存在するそうです。ふと気付いたことがあります。地球の衛星に月がありますが、互いの引力と遠心力が働いていて潮の満ち干があるわけですから、その力も地球上の遍(あまね)く一点に、働いているはずです。また、地球は月共々太陽の周りを公転していますのでその力も働いているはずです。さらに、太陽系の星は、銀河の中を公転しているはずですのでその力も働いているはずです。その銀河も大宇宙を公転?しているはずですからその力も。そして大宇宙はすごいスピードで膨張しているそうですのでその力も・・・・。
 ですから、重力に遵(したが)うということは、大宇宙の働きと一体になることであり、人間の頭脳で処理出来ることではないことに気付きます。脳を含めた身体全体で感じ取っていくしかないわけです。自然随順とはこのことをさすのではないかと思いました。
 でも、そうしようとすればするほど自分の身体の感覚が「鈍ってきている」「拓いていない」と痛切に感じてしまいます。昔の人であれば感じ取れるのに今は感じ取れないことは多分大変多いのでしょう。
 コンピュータ処理と人間の頭脳の処理の役割分担を考えてみるに、言葉や数などの「概念」の処理はコンピュータで、そもそもオンリーワンである「(事物の)存在」は、概念化してないわけですから、身体感覚を通して頭脳で処理をしないとまずいのではなかろかと思います。というか、今のところ人間にしかできないことを、コンピュータや他人に頼ろうとする依頼心を捨て、感覚を拓くことに努力しなければ、感じとる能力は落ちていってしまうのではなかろうかと危惧します。裏返していえば、概念化されていない「存在」である「場」や「コト」や「対象」を、私たちが感覚を研ぎ澄まして捉え、適切に対処していくことに集中していくために、コンピュータを活用するのだと考えたい。

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コメント

今回も難しいお話でしたね。
何となくしか分かりませんが、「自分の感性を磨くためにコンピューターは有効に活用するよう心がけよう」ってことですか?
現在、私の日常の半分はPCです。その仲間達は社会人に限らず、中高校生もいます。
自分は臨時教師だったので、もし悩んだ時は出来るだけ彼らの助けになろうと思ってます。
と同時に教師であった自分を忘れない自己啓発だと思ってます。
つい時間を忘れがちなので、その辺も考えないと。。。
また遊びに来ます。

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