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反経営学の経営  常盤文克/片平秀貴/古川一郎共著について

新しい日本的経営のあり方を提示するいくつかのフレーズ
「今の日本企業の経営は、『カネ』を中心に置く米国流に、あまりにも傾き過ぎている。だが、カネ儲けだけが企業活動のゴールなのか」
「企業活動を通じ、自分たちの夢や思いを実現する。また、良きモノやサービスを創造し、世のために尽くす、そんなゴールもあるのではないか」
「『顧客とは何なのか』という点でも、(米国流には)共通の傾向がある。それは、会社(商品の作り手)と顧客(商品の使い手)は互いに独立した個別の布在であり、また、マーケティング戦略を駆使すれば前者は後者をコントロールできる、というものだ」
「一方、我々の世界では、作り手と使い手は、片方がもう一方をコントロールするというのではなく、互いに商品を介して対話をしながら心を通わせ、高まり合う存在だと考えられている。両者は互いに独立した個別の存在ではなく、片方がなければもう一方も存在しないという意味で『一体』なのである」
「作り手が使い手を育て、使い手が作り手を育てることにより、両者の間にいい循環が生まれる」

私が、もやもやと「何かおかしい」と感じていたことの何たるかを、解きほぐしてくれ、あるべき方向を示唆してくれたような気がします。
今、日本には米国流がなだれ込んできていて、いろいろな分野に「文化の混乱」がみられます。20年位前は日本的経営は世界の手本などともてはやされていたものが、ここにいたって全面否定の対象となろうとは・・・・・・・。
濁流と化す前の流れのなかに、一筋の清流を注ぎ込むように、この本が多くの人の心を目覚めさせてくれることを期待しています。

ぜひ読んでいただきますようお願い致します。

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コメント

市場主義経済が世を席巻し、社会は、進むべき方向を見失っています。効率性・
経済性のみを追及し他の価値は、見捨てられています。もちろん、非効率な公共部門や談合・天下りといったこといったことは、多いに改革すべきですが「カネ」=「利益」の為なら何でもありといった風潮を野放しにし、年功賃金制・国民皆保険制度・教育の機会均等といったことが全て失われれば、世は、戦国時代のように殺伐としたものなるでしょう。現在、政権与党も野党も私達に明るい将来のイメージを提示出来てはいません。一方これに対抗すべく各地で様ような試みが行われています。いろんな方々の試行錯誤の上に新しい未来が描かれていくことを願ってやみません。「反経営学の経営」もこの流れの一つとして読んでみたいと思います。

作り手と使い手は「一体」であるなんて、何だか生協の考え方に似てますね。
先日、あるコンビニに行ったとき精算して店を出る際、店員に「いってらっしゃいませ」と声をかけられました。少しドキッとしました。
コンビニって色んな人が利用してて、特に朝は通勤途中や仕事中の人がいる訳です。そういう人達には「いってらっしゃいませ」と言う言葉がとても心に響いて来るんじゃないかと思いました。
この言葉がその個人のかコンビニのマニュアルか分かりませんが、この店(人)はお客様の気持ちになって考えられる店(人)だなと思いました。
生協のお店もそうあって欲しいと思います。

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