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部分と全部と全体と

「どこからがあたまで、どこまでがひたいか?」よく落語などのネタになる話である。あなたは、どう答えるだろうか?

アナログという連続の世界では、部分と部分とは切れ目なくつながっているわけだから、部分といっても「そこら辺り」というようにアバウトにしか表現できない。したがって、部分を積み上げて全体になることはありえない。

全体先にありきなのだ。卵子という単細胞(全体)が分裂を繰り返しす過程で「部分」をつくりだしていく過程をみればよく理解できる。

コンピュータは、〇,1のデジタルの世界なので、境界をタ定め、部分を特定できる。このコンピュータ世界から現実を見るがゆえに、あたかも部分の積み上げが、全体になるという錯覚が生まれるのではないだろうか?部分をあつめて全部とはいえても、それは全体ではない。

仕組み、システムを構築する場合は、どんなにぼやけていたとしても、「全体」の構想、仕組みから出発しなければならない。が、部分を積み上げ、全体システムを構築しようと構想することがいかに多いことか!

店舗での品揃え。部門で考えていないだろうか?それも必要になる。しかし、その前に一人の利用者(全体)が必要な品物は?ということから仮設を立ててから、部門で検討する順序にしなければ、
大事なことを見落とすことになる。

「共同購入商品案内カタログの今週の品揃え全体は、これでいいのだろうか?」と問い続ける人は、いるのだろうか?これもまた、最初から、単品・部門から分析していないだろうか?

「組合員さんの立場に立って」といってはみても、部分からみて全体性をもって暮らす組合員さんの思いを、的確に受け取ることが、本当にできるのだろうか?

全体性を身につけるのは、そんなに難しいことではない。「組合員になってみる」ことさえできれば、全体性が実感できるのだから。

「全体から部分をみる」「全体をみて、部分をみる」ことができればいいのだから。

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