供給高・売上高vs需要高・購買高
生協では、売上高と言わずに、供給高という。
「一般の小売業とは違う」と言いたいのかもしれない。
あるとき、ふと疑問になった。
供給の反対語は需要である。販売の反対は購買である。
売上高といいたくないのであれば、なぜ(組合員)購買高となぜ言わなかったのだろう?
購買生協なのに・・・・
そのことで、需要側・購買側から数値をみて、数値の意味を読み取っていくという視点を失ったのではないだろうか?
そのことで、「宣伝し、扇動し、組織する」という、サプライチェーン発想に基づく、組合員操作の心が芽生え、今でもそれを引きずっているのではないだろうか?
売上高を供給高と言い換えても本質は変わらない。
だが、(組合員)購買高と表現するとがらりと変わる。
「何が売れたか?」でなく「誰が買ったか?」が最初の問いになる。
部門-ライン-クラス-単品という分析方法が、
単人(造語)-プロフィールクラス(造語)-店舗-・・・と続き、何を買っているか?に行き着く。
毎日新聞の9月8日の余禄に
「新制度を持ち込むほど難しい企てはない。旧制度のすべての受益者が敵に回る一方で、新秩序を利用する人々は、恐怖心と猜疑心から、いいかげんな応援しかしないからだ」(マキアベリ)
とあった。
生協で、早くから使われている「供給高」を「購買高」に変更することは大変なことだと思うが、
言葉はそのままにしていたとしても、数値を組合員の側から読み直し、分析してみる価値はあると思う。
「なぜ売れないか」「どうすれば売れるだろうか」の応えは、組合員の中にあるのだから。
たとえ、組合員がそうと自覚していなかったにせよ。
買う側から数値変化の意味を読み取りなおし、直接組合員さんに確かめて見ることが、今、とても大切になっているように思うが、どうであろうか?