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2009年10月26日

規模の成長と役立ちのレベルアップ

売上高が右肩上がりの成長がとまり、事業経営に行き詰ってきた企業が多い。
そのことから、合併や連合していくところもある。

右肩上がりの成長は、事業経営にとって大事なことであって、決しておろそかには出来ない。
が、その世界で最大規模の企業が行き詰まり破綻していく姿をみると、規模の成長は必ずしも経営の安定をもたらすとはいえないことがわかる。

事業規模やシェアーは、良い事業経営の要因というよりか、良い事業経営の結果としてみたほうがいいのではないか? 最近そう思うようになった。

事業規模が「縮小した」「シェアーが落ちた」、この結果は、いかなる原因でそうなったか?ということがわからなくては始まらない。
それがわからずして、「もっと大きくなろう!」「もっと伸ばせー!」「シェアーを上げよ!」ではどうしようもない。

事業規模やシェアーは究極は買い手が決めることだ。
したがって、買い手にとって買うことに魅力を感じるかどうか? 
つまり買い手にとっての「価格」対「質」に勝てるかどうかだということ。
「事業規模が大きくなる」「シェアーが高まる」ことが買い手にとっての魅力にどうつながっていくのか?
そのことが明らかにされなければならない。

買い手への役立ちが先にあってこその事業経営だとつくづく思う。


2009年10月01日

地球をまもる?

「環境と地球をまもる」といわれることがある。驕りでそういっているのではないと思う。

だが、我々人間が、地球に抱かれ守られている存在であるを忘れてしまっては、傲慢のそしりは免れない。

「日本列島改造論」と言うのがあった。いまでも、開発という名目で、自然への大きな加工が膨大な費用が投じられて行われている。

「くらしの必要」と言う大義名分があったにせよ、人間の存在の基盤である自然・地球の加工は最小限にしなければならないと思う。それが変えられることによってどんな影響がでてくるかがわかないのだから。

自然をコントロールするのではなく、自然の摂理に遵い適応していくことこそが求められる。

大昔の先祖は、自然を畏れ、自然を敬い、自然に聴き、自然に遵って生きてきた。

いつ頃からだろうか?孫悟空のように自然をコントロールしようと考えたのは。

「地球を守る」こういう発想の中に、人間が地球に抱かれ守られているほんの小さな存在であるを忘れ、地球をも守れる偉大な存在であるかのような錯覚が潜んでいるのではないか。

自然に摂理に遵うということは生きていくことにおいても、企業経営においてはなおさらに「言うは易しく、行なうは難い」こと。

だから、自然に摂理に遵い貫くことに挑戦し続けなければならないと思っている。