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2009年09月09日

供給高・売上高vs需要高・購買高

生協では、売上高と言わずに、供給高という。
「一般の小売業とは違う」と言いたいのかもしれない。

あるとき、ふと疑問になった。
供給の反対語は需要である。販売の反対は購買である。
売上高といいたくないのであれば、なぜ(組合員)購買高となぜ言わなかったのだろう?
購買生協なのに・・・・

そのことで、需要側・購買側から数値をみて、数値の意味を読み取っていくという視点を失ったのではないだろうか?

そのことで、「宣伝し、扇動し、組織する」という、サプライチェーン発想に基づく、組合員操作の心が芽生え、今でもそれを引きずっているのではないだろうか?

売上高を供給高と言い換えても本質は変わらない。
だが、(組合員)購買高と表現するとがらりと変わる。

「何が売れたか?」でなく「誰が買ったか?」が最初の問いになる。
部門-ライン-クラス-単品という分析方法が、
単人(造語)-プロフィールクラス(造語)-店舗-・・・と続き、何を買っているか?に行き着く。

毎日新聞の9月8日の余禄に

「新制度を持ち込むほど難しい企てはない。旧制度のすべての受益者が敵に回る一方で、新秩序を利用する人々は、恐怖心と猜疑心から、いいかげんな応援しかしないからだ」(マキアベリ)

とあった。

生協で、早くから使われている「供給高」を「購買高」に変更することは大変なことだと思うが、
言葉はそのままにしていたとしても、数値を組合員の側から読み直し、分析してみる価値はあると思う。

「なぜ売れないか」「どうすれば売れるだろうか」の応えは、組合員の中にあるのだから。
たとえ、組合員がそうと自覚していなかったにせよ。

買う側から数値変化の意味を読み取りなおし、直接組合員さんに確かめて見ることが、今、とても大切になっているように思うが、どうであろうか?

2009年09月02日

基本が大切だ・・・・

仕事でも、お稽古事でも「基本が大切だ」とよく聞く。
確かにそうなのだが、そう言っている人に「どうして基本が大切なのですか?」と問うと、どう答えるだろうか?

永い期間、古伝空手を修行してきて、近頃になってやっと、本当に「基本が大切だなぁ」と、しみじみと感じている。
これまでは先輩方がそう言われるから、私もそう言っていた、だけのように思う。

「基本」を辞書で引くと「物事がそれに基づいて成り立つような根本」とあった。
であるならば、物事の「基本」が分かるということは、物事の全体像が分かっていなければならないということになる。
その上で物事の根本になる「基本」を見出すわけである。

物事に習熟した人の役割は、その「基本」を改めて見出すことではないか。
今まで基本とされていたことを、自分の体験的に得た全体像から、自分が「これが基本だ!」と思えることを、改めて仮説的に見出すことではないか。

そして、その「仮説の基本」を実践的に検証してみる。
そして仮説を修正する。
このように「自分で見出した基本」(師から教えられたこととまったく同じになってもいい)を独りで掘り下げていくプロセスを経て、後輩に「これが基本だ」と確信を持って指導していくことが、熟練者に求められている、と思う。

初心者はどうすればいいか?
信頼できる指導者を心のなかで「師」として、その師の言う「基本」を、自分が習熟しその全体像がしっかりと分かるまで、実践し続けることだ
全体像が見えてくると、師の言う基本を「なるほど」というように理解できてくる。

そのとき自己の内面から”基本は本当に大切なものだ!“という気持ちが自然に湧き上がる。
それまでの「基本が大切だ」は、まだ、実感が伴なっていず、受け売りにすぎない。

「基本が大切だ」そう確信を持って言いきれるように、自分が受け持つ物事に習熟していきたいものだ。
自分にそう言い聞かせている。

皆さんが考える「基本が大切だ」をコメントに書き込んでもらえると嬉しい。
よろしくお願いします。